忍東照宮
Oshi-Toshogu
●どんな神社なの?
【御祭神】 徳川家康命(とくがわいえやすのみこと)
松平忠明命(まつだいらただあきらのみこと)
八幡大神(はちまんおおかみ)
【例祭日】 4月17日
忍東照宮は、家康公の娘・亀姫が父の肖像を譲り受け、それを自分の息子・松平忠明公に譲ったものを安置するため、1625年(寛永2年)大和国郡山城内に社殿を造営したことがはじまりであると伝えられています。
以降、忍東照宮は藩主によって祭祀され、松平家が移封されるたびに遷座されました。
1868年(慶応4年)鳥羽・伏見の戦いの折、大坂蔵屋敷にあった東照宮を忍(おし)城内の下荒井に合祀しました。
1871年(明治4年)松平家が東京に移住することになり、廃社の憂き目に遭いましたが、旧藩士たちの尽力により、1874年(明治7年)下荒井から本丸の一部であった諏訪郭(くるわ)内の諏訪神社の境内に本殿を遷座することで難を免れました。
1900年(明治33年)に松平忠明公が配祀されました。
現在の拝殿は、1930年(昭和5年)に造営されたものです。
社名標
鳥居
参道
拝殿
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忍城址
境内地はその昔、忍城(おしじょう)でした。
忍城は成田氏15代親泰が1490〜91年(延徳2年〜3年)に築城したものです。荒川と利根川の水利を巧みに利用した平城で、本丸、二の丸、三の丸など大小約20の郭で複雑に構成され、関東7大名城の1つに数えられていました。
豊臣秀吉の関東攻めの時、豊臣方の石田光成が忍城を水攻めにしたものの落城せず、「忍の浮城」と呼ばれました。
忍城は明治維新後にすべて取り壊され、現在では土塁の一部と忍の時鐘が残っています。
徳川家進書による神額
申年の絵馬
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参拝して、徒然なるまま一筆啓上
JR行田駅からタクシーに乗って、「本丸までお願いします」と告げ、「その本丸っていうところに東照宮があるんで、そこに行きたいんです」と世間話。
「ここが本丸ですけれど…。どちらで降ります?」
「どこに東照宮があるかですよね?」
実はその運転手さんは本丸に東照宮があることをご存知ないご様子。
「う〜ん。あ、ここにも神社がありますよ」
と運転手さんが指さす方向には「諏訪神社の社名標が…。
「いや、これ違うみたいです」
と答えた瞬間、諏訪神社の社名標の横に小さな東照宮の社名標が目にとまり、「あっ!停めてください!」
参拝した後、再び行田駅まで乗せていってもらうため待っててもらい、乗り込んだら、
「こんなところに結構立派な神社があったんですね。知らなかった」
神社巡りは、タクシーの運転手さんを育てるのに一役買ってるようです。
●データ
所在地
埼玉県行田市本丸12-5
問合せ
0485-56-2096
URL
未確認
参拝時間
終日
駐車場
なし
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