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談山神社 |
Tanzan-Jinja | |
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| ●どんな神社なの? | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 【御祭神】 藤原鎌足公 【例祭日】 新暦で藤原鎌足の命日にあたる11月17日 けまり祭りは、4月29日と10月第3日曜日 舒明天皇、皇極天皇の時代、国の政治をほしいままに操っていた蘇我氏に苦々しい想いを抱き、国家の正しいあり方を考えていた鎌足は、飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴鞠の会があったとき、たまたま中大兄皇子に会うことができたのだそうです。 645年(大化元年)5月、中大兄皇子と鎌足は、多武峯(とうのみね)に登り、「大化の改新」の談合を行いました。それが、現在の談山神社本殿の裏山です(後に、この山を「談い山・談所ヶ森」と呼ぶようになり、神社の社号の起こりになりました )。 藤原鎌足公の没後、留学先の唐から帰国した長男の定慧(じょうえ)は、678年(天武天皇7年)、摂津国三島郡安威山に葬ってあった鎌足公の 遺骸を多武峯(とうのみね)に改葬、供養のために十三重塔を建立、その翌年に堂舎を建立し、妙楽寺としたのがはじまりです。 701年(大宝元年)には、藤原不比等が聖霊院を設けて鎌足公の神像が安置されました。この聖霊院が本殿で、妙楽寺は別当寺でした。 926年(延長4年)に醍醐天皇から談山権現の号を賜り、その後、後花園天皇(在位1429〜1463年)から大明神の号を賜り、正一位勲一等の神階を追贈されました。 多武峯は大和の中央に位置し、社領、社僧が多く、東大寺や興神寺としばしば争ったようですが、明治の神仏分離によって寺が廃され、「談山神社」になりました。 |
![]() 社名標 ![]() 正面入山入り口 |
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![]() 権殿 |
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| ●”縁結び”の御神徳があるのは? | ||||||||||||||||||||||||||||||
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縁結びの神・恋の神といわれているのは、拝殿下の鳥居をくぐり、”恋の道”を歩いて50メートル(?)くらいのところにある東殿(とうでん)です。 東殿は、江戸時代初期造替の旧本殿を移築したもので、藤原鎌足公の正室・鏡女王(かがみのおおきみ)、鎌足公の長男・定慧(じょうえ)、次男・不比等をお祀りしています。 鏡女王は万葉集の中の”天智天皇との相聞歌”で知られ、額田王(ぬかたのおおきみ)の姉にあたります。 |
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●ここをチェックしてね! |
![]() ![]() 淡海公十三重塔 |
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| ●参拝して、徒然なるまま一筆啓上 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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県道・桜井吉野線から談山神社行きの道に入ってからの道のりが、とにかく長
い。思わず「ねぇ、まだ?」つぶやいてしまうほど…。 紅葉シーズンは、かなりの観光客が訪れるのでしょう。そんなに広くない道には、「地元車優先」の看板が…!? 「豊橋」ナンバーの車で走ってる私は、ちょっと肩身が狭かったです。もっとも、すれ違う車は少なかったです。しかも、ほとんど「神戸」や「大阪」ナンバーでした。
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![]() 絵馬 400円 |
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