| ●どんな神社なの? |
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【御祭神】 主神 大彦命(おおひこのみこと)
配神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
配神 金山比当ス(かなやまひめのみこと)
【例祭日】 春季大祭 4月17日、例祭 12月5日
敢国神社は伊賀国の一ノ宮で、創建は658年と伝えられています。
創建当時は、大彦命と少彦名命の2柱が奉祀されていましたが、319年後の977年(貞元2年)金山比当スが本殿に合祀されました。
大彦命と少彦名命の2柱から現在の3柱に至るには、次のような経緯がありました。
主祭神である大彦命は、西暦350年頃、第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人として、その子・建沼河別命とともに北陸東海を征討する役目を負い、第10代崇神天皇の命を受け、日本の東国の攻略を果たし、以降、伊賀国に駐屯し、事実上の領主となりました。子孫が伊賀の国中に広がっていったわけですが、阿拝(あえ)郡を中心に居住していたため、阿拝氏を名乗るようになり、後に敢、阿閉、阿部、安部(あべ)と呼ばれるようになりました。
また、古代、伊賀地方には秦(はた)族が多く居住しており、その秦族が振興していたのが少彦名命で、当時は南宮山頂上付近に祭祀されていましたが、敢国神社創建時に現在地に遷座されました。
南宮山山頂に祭祀されていた少彦名命の社殿が遷座されたことから、新しい神社を創建することになり、美濃国・南宮社の神である金山比当スを勧請することになりました。
しかし、勧請した後のある日のこと、金山比当スを祀る社殿が激しく揺れ、揺れが収まると同時に、社前の御神木に虫食いの痕が「與阿部久爾神同殿」の文字となってあらわれたことを受け、合祀されることになったのだそうです。
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社名標

朱の両部鳥居が美しい
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手水舎 |
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水盤に「敢国津社」の文字
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拝殿
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●”縁結び”の御神徳があるのは?
●末社・むすび社 |
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【御祭神】 高皇産霊神
(たかみむすびのかみ)
手間天神
【例祭日】 6月第4日曜日
拝殿左手に鳥居が…。階段と坂を上りきると社が見えます。 |
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むすび社の鳥居
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階段を上って右に折れると
長い坂が… |
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坂を登りきると左手に社が
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●ここをチェックしてね! |
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●桃太郎岩
今から550年ほど前に、南宮山上に鎮座する木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る浅間社から遷座したといわれる霊石で、安産・子授けの神として多くの女性から信仰を集めています。
●延命・御神水井戸
拝殿前の階段右にある井戸。
●芭蕉句碑
伊賀上野出身であった松尾芭蕉を偲び、1962年に建てられたもので、句碑には、1688年(貞享5年)2月に芭蕉が参拝した折に詠んだ「手はなかむ音さへ梅の匂ひかな」の句が刻まれています。
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桃太郎岩
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延命・御神水井戸
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●参拝して、徒然なるまま一筆啓上 |
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とても閑静な場所に鎮座していました。そして、その場所に鎮座する神社にふさわしい穏やかな神職さん。なぜか、ほのぼのとする神社でした。
神社入り口の手前の「駐車場」の表示を見て、「ここで車を置いて、あと200メートルくらい歩くんじゃない?それで、鳥居の近くにもう1つ駐車場があって、『なんだぁ、こっちまで乗ってくればよかった』ということになるんじゃないかな?」と踏んで、かまわず進んでいったら、その先はほとんど行き止まりのような状態…。「素直に従えばよかった」と反省しきり。少しのスペースを利用して車を何度も切り返し、向きを変えて事なきを得ましたが、一歩間違えば「バックで100m」でした。
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●データ |
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所在地 |
三重県伊賀市一ノ宮877 |
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問合せ |
0595-23-3061 |
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URL |
未確認 |
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参拝時間 |
終日 |
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駐車場 |
20台くらい |
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拝殿にかかる額 |
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