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今宮神社 |
Imamiya-Jinja | |
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| ●どんな神社なの? | |||||||||||||||||||||||||||
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【御祭神】 大己貴命(おお
なむちのみこと/大国主命ともいう) 事代主命(ことしろぬしのみこと/えびすさま) 奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと) 【例祭日】 10月9日、やすらい祭は4月第2日曜 今宮神社の起源は、1001年(長保3年)5月9日。この地で疫病が流行したことから疫神を船岡山から現在地に奉遷、新たに神殿3宇と瑞垣、神輿を造らせ、大己貴命、事代主命、奇稲田姫命を祀り、それまでにあった疫社(えやみしゃ)とともに「今宮社」と名づけたのがはじまりといわれています。 社名の「今宮」は、「新たに設ける宮」という意味です。 今宮神社といえば、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに、京都の三大奇祭と称される「やすらい祭」が有名ですが、これは、古来より疫神を鎮めるために行われていた神祇官の「鎮花祭」と、後になって疫災をはらうために疫神を祀って疫癘を鎮めるための「御霊会」が結びついた「花のまつり」で、花の精にあおられて飛散する悪魔の精霊を囃子や歌舞によって追い立てて風流傘に宿らせ、紫野ノ社に送り込んで神威を仰いで降伏させるというものです。 「やすらい祭」は京都の祭のさきがけとなる祭で、この日が晴れであれば、その年の京都の祭はすべて晴れと言い伝えられているのだそうです。 |
![]() 社名標 |
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| ●”縁結び”の御神徳があるのは? | |||||||||||||||||||||||||||
| 今宮神社は、「縁結び」の神様というより
「玉の輿」の神様といわれています。 その所以は、徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院にあります。 一説によると、桂昌院は京都西陣の八百屋の娘として生まれながら、3代将軍・家光の側室となり、綱吉を産みました。後に綱吉が将軍となったことから、生母として大奥で権勢をふるい、従一位の位にまで昇りつめました。 桂昌院は、高い身分を手に入れた後も故郷・西陣のことを心にかけていたのだそうで、 毎年「今宮祭」の日には大奥で将軍とともに祭事を行ったと伝えられ、戦国の世以降、今宮神社が荒廃していることを 伝え聞くと、1694年(元禄7年)奉行に命じて社殿造営や牛車・鉾の寄進をしたり、中断していた「やすらい祭」を復興するなどして復興に努められたのだとか。 このことから、今宮神社は、八百屋の娘から将軍の生母という玉の輿にのった桂昌院とは深い関係があるとされています。 身分の低い女性が身分の高い男性と結婚することを、俗に「玉の輿にのる」といいますが、これは、将軍・綱吉の生母・桂昌院の名前「お玉」が起源になっているといわれています。 |
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| ●ここをチェックしてね! | |||||||||||||||||||||||||||
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●やすらい祭 4月の第2日曜には行われるお祭りで、鬼に扮した氏子が花笠に疫を集めて疫病退散を願い、社前で「やすらい踊」を奉納するというものです。太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに、京都の三大奇祭にあげられます。 ●玉の輿お守 今宮神社復興のために尽力された5代将軍・綱吉の生母・桂昌院が八百屋の娘から将軍の側室になったことから、「桂昌院のように玉の輿にのれますように 」という願いがかなう(?)開運「玉の輿お守り」が授与されています。 |
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| ●参拝して、徒然なるまま一筆啓上 | |||||||||||||||||||||||||||
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今宮神社は2度目の参拝。1回目の時、激しい雨に見舞われ、いい写真が撮れなかったため、写真の撮りなおしが参拝の主目的だったのですが、残念なことに拝殿は工事中(2005年9月頃完了予定)。舞殿(?)が仮拝殿になっていました。 今宮神社といえば「あぶり餅」。 今回は、前回食べられなかった名物「あぶり餅」を食べてみることにしました。東門のそばに道路を挟んで2軒お店があり、そのうちの1つ「いち和」で食しました。 みたらしだんごに慣れている私には、とても新鮮な味に感じました。今度はもう1つのお店で食べてみようっと。
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