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新熊野神社 |
Imakumano-Jinja | |
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| ●どんな神社なの? | |||||||||||||||||||||||||||
| 【御祭神】(上四社) 本殿…伊邪那美命(いざなみのみこと) 若宮之社…天照大神、国常立神 結之社・速玉社…速玉男神、黄泉事解之男神 (中之社) 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 瓊々杵命(ににぎのみこと) 彦火々出見尊、ウガヤフキアエズ命 (下之社) 軻遇突智命、埴山姫命、弥都波能売命、稚産霊神 【例祭日】 10月16日 熊野神社、熊野若王子神社とともに並び称される「京都三熊野」の1つ。 1160年(永暦元年)紀州の熊野権現を深く信仰していた後白河上皇が平清盛公をして紀州国熊野より勧請し 、創建された神社で、造営するための土砂や木材を熊野から調達し、神域には那智の浜の青白の小石を敷き詰めるなどして”熊野”を再現したものだといわれています。 戦国の世になり、兵火により消失。その後、約120年間、ほぼ廃絶同然の状態でしたが、江戸初期、後水尾上皇の中宮東福門院(徳川2代将軍秀忠の娘・和子)が新熊野神社の復興を発願。、1663年(寛文13年)後水尾上皇の皇子である聖護院宮道寛親王によって再建され、現在に至っています。 境内の隅には、しめ縄のかけられた樹高20メートルあまりの樟は、神社創建の際、熊野から運ばれ、後白川上皇みずからがお手植えになった ものといわれています。樹齢約900年にもなる「大樟さん(くすのきさん)」は、熊野の神々が降臨された霊樹とされ、「お腹の神様」といわれています。 古来から「新熊野十二社権現」と称されていた新熊野神社の参拝順序は、@本社→A結の社・速玉社→B中四社→C若宮社→D下四社の順に行い、最後に「大樟社」を参拝するのが正式な参拝作法とされています。 |
![]() 社名標 ![]() 鳥居 |
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紀州国熊野三山の御土 |
拝殿 |
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| ●”縁結び”の御神徳があるのは? | |||||||||||||||||||||||||||
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新熊野神社の御神木である梛の木は、古来から、禍や災難を”なぎ”払い、「朝凪、夕凪」の”なぎ”に通じることから、波のない平和な状態、幸せや縁結びを招来する霊樹といわれてきました。 また、梛の木の葉は切れにくいことから縁結びの樹といわれ、仲良く二つ並んで実をつけることから、夫婦円満の樹ともいわれています。 新熊野神社は古くは「梛の宮」とも称され、本社の両側に雄の梛の木と雌の梛の木が一本ずつ 植えられ、源頼朝、北条政子もこの梛の木の前で夫婦の契りを結んだといわれています。(写真左下) |
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| ●ここをチェックしてね! | |||||||||||||||||||||||||||
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| ●参拝して、徒然なるまま一筆啓上 | |||||||||||||||||||||||||||
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観光用ガイドブックには載っていないことから、観光神社ではなく地元の人たちに愛されている神社のようです。お昼時、近所のお子さん連れの奥さんたちがお弁当を食べにきていました。 新熊野商店街を北に向かって歩き、アーケードが終わったあたりに目に入る「大樟(くすのき)さん」。 社務所で「縁結びの御守と由緒書をいただきたいのですが…」と伝えると、「どちらからいらしたのですか?」と神職さん。「この神社のことをどこでお知りにならはった?」とも。観光客はめずらしいのかも…。
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![]() 絵馬 |
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