| ●どんな神社なの? |
【御祭神】 熱田大神(あつたのおおかみ)
【相殿神】 天照大神(あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
【例祭日】 6月5日(熱田まつり)
尾張五社(※注)のひとつ。
熱田大神とは、三種の神器の1つである草薙の剣
を御霊代とする天照大神をいいます。
三種の神器である草薙の剣は、もとは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といい、景行天皇の皇子である日本武尊が東国東征に出かける折、
叔母である斎王・倭姫命(やまとひめのみこと)から伊勢神宮に祀られていた八咫鏡(やたのかがみ)と共に授かったものでした。それが、「草薙の剣」と称されるようになったのは、東征の折、駿河の焼津あたりで草を薙いで賊の火計を免れたことからです。
いまから約1900年前、東征から戻った日本武尊は、婚約していた尾張の宮簀媛命のもとに戻り、神剣を預けたまま息吹山の妖神征伐にでかけ、発病して伊勢の熊褒野(のぼの)で没し
ました。そこで宮簀媛命が熱田の地に社を建てて草薙の剣を祀ったのが熱田神宮の起源とされています。
熱田大宮司の娘を母とした源頼朝をはじめ、足利、織田、豊臣、徳川氏などが社殿の修造、保護に尽力し、交通の要所でもあったことから、伊勢神宮に次ぐ由緒ある大社として全国的に信仰をあつめてきました。
(※注)尾張五社→尾張大国霊神社(国府宮神社)、津島神社、
千代保稲荷神社、針綱神社
、熱田神宮
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●ここをチェックしてね! |
●日本最大級の石灯籠
高さ8メートル(日本最大級)の石燈籠が設置されています。
これは佐久間大善亮勝之が海で台風に遭遇し、その際、熱田神宮に守護を祈って難を逃れたことから、1630年(寛永7年)に寄進されたものです。
●信長塀
日本三大塀(他の2つは三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀)の1つといわれる信長塀があります。これは、織田信長が桶狭間出陣の際、熱田神宮に祈願し大勝したお礼に奉納したものなのだそうで、土と石灰を油で練り固めて瓦を積み重ねた塀です。
●樹木
古来から熱田神宮の境内は不老・不死理想郷である蓬莱の1つといわれていたように、広さ19万平方メートルの境内地は樹木が豊富で静寂です。なかでも弘法大師お手植えの「大楠」、花が咲いても実のならない「ならずの梅」、茶人好みの「太郎庵椿」などがあります。
●境内地周辺
境内地近くに、源頼朝生誕地跡門や熱田神宮の西300mに日本武尊の墓という白鳥古墳、その北300mに宮簀媛命の墓という断夫山古墳があり
ます。特に断夫山古墳は東海地方随一の前方後円墳なのだそうです。
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●参拝して、徒然なるまま一筆啓上 |
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名鉄・神宮前駅から道路隔ててすぐのところにあるのですが、境内が広く、樹木も豊富なせいか、とても静かな境内です。
本宮社殿は、昔は尾張造りと呼ばれる流れ造り
でしたが、明治26年から現在の神明造に改められたのだそうです。宝物殿で展示されていた絵から、尾張造りの熱田神宮を知ることができたのは有意義でした。
熱田神宮参拝の後、足をのばして源頼朝の生誕地〜白鳥古墳〜断夫山古墳を回りました。
「源頼朝の生誕地」はすぐにわかりましたが、白鳥古墳は住宅街の中
の目立たないところにあったため、なかなか辿り着けずキョロキョロしながら歩いてたら、犬を散歩させていたオジサンから「ハローワーク行きたいの?」と声をかけられました。
どうやら失業者と思われたらしい。(^_^ゞ
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